研究室ブログ

キングモンクット工科大学の学生がインターンシップ(CFDセミナー)に来ました

 こんにちは!最近肌寒くなり、こたつから出ることが困難極めるようになった吉川勇人です。

11月中旬(11/11 ~ 15)、タイから12人の留学生を招いたイベントを開催しました。留学生の方々には流体シミュレーションを体験して頂き、私は学部4年生のTAとして微力ながらお手伝いさせていただきました。授業の進行をサポートする中で、すべての会話は英語で行われ、始めは言葉が詰まることや、思うようにコミュニケーション取れないことも多々ありました.しかしながら、日が進むにつれて、留学生からの質問や会話を通して少しずつ英語力が向上したように感じ、充実した時間を過ごすことが出来ました。また、彼らのシミュレーションのモデルは非常に多様で、なかには「ハムスター」のようなおもしろい発想をもったモデルも登場しました。まさかのモデル選択に思わず笑ってしまいましたが、個性的なアイデアの発想に、彼らの創造力の豊かさを感じました。

イベントの最終日には親睦を深める飲み会が開かれ、学問だけでなく個人的な話題も交わすことでさらに絆を深めました。このイベントを通じて得られた留学生との交流や新しい視点は、私にとって非常に貴重な経験でした。また、自身の英語力やサポートスキルが向上したことも、大きな収穫です。この経験を今後の研究や生活に活かしていきたいと思います.

飲み会後の集合写真

ICJWSF2024 8th International Conference on Jets, Wakes and Separated Flows に参加しました

 皆様,お元気でしょうか.私といえば,ついこの前26歳となり20代も後半に差し掛かってまいりました.大学にいる間は学生であり,その中でも年長者であることを意識して行動できればと思います.

さて,本題ですが,先日9/23~25にイタリアのフィレンツェで開催されたICJWSF2024(8th International Conference on Jets, Wakes and Separated Flows)に参加しました.この学会は,初回は日本の三重県にて開催され,その後,ドイツ,アメリカ,スウェーデン,アメリカ,日本とわたって,今回はイタリアで開催されることになったようです.学会名にもあるように,ジェットや物体の後流などを対象とした学会であり,流れの剥離制御や後流に生じる渦構造がどのような成分で構成されているか,さらにはジェットの燃焼時に生じる振動やその噴流の構造等,様々な内容が発表されていました.今まで何度か学会に参加させていただいていたおかげで,理解できる内容もあれば,その一方で,初めて聞く分野の内容は英語であることも相まってか,全く理解することができないこともありました.そのため,その都度,完璧に理解することができなくてもいいので,とにかく質問しようと思い,今回の学会でも何度か質問するようにしました.また,初めて聞いたような内容でも研究室のメンバーに還元できそうな内容の研究もありました.イタリアで購入したお土産だけでなく,その話を後輩たちにできればいいなと思います.

私自身は,今回は変形する渦輪の動的挙動と非定常揚力特性の内容で発表させていただきました.本学会は,先ほども記載したようにジェットや物体後流など,流れ場の可視化を主旨とした学会でした.そのため,蝶の翅まわりの渦輪の挙動が翅の羽ばたき運動に伴って,非定常揚力と共にどのように変化するかを,定量的かつ視覚的に分かりやすくすべきでした.しかしながら,今回の発表では渦核の速度分布を利用し,翅の各位置における渦の規模と発達過程を定量的なグラフでしか示していなかったため,具体的に蝶の翅の位相および揚力の結果に対する渦輪の挙動を,相手に伝わりやすい資料として示すことができませんでした.質疑応答でも,これまでにされた質問と似通った内容(実験対象は生きた蝶なのか,流れ場や力の結果は蝶のモデルを解析することで得られたのか等)があったため,議論したい内容以前に,示し方や説明の仕方が不十分だと感じました.他の発表を聞いた時にも,ただ口頭で資料を読み上げたり,定量的なグラフの結果しか示していない場合には分かりにくいため,内容を理解するための質問しか出てこなかったように思います.また,研究背景の部分も,研究対象はわかるがなぜその研究をするのか,明らかにすることで何かメリットがあるのか(何かの製品の応用できるのか)といった部分が不足していたようにも思います.それでも,発表に対する質問をいただくことができたのは,それなりの結果をまとめることはできていたのではないかと思います.また,質問に対しての英語の応答も以前よりはましになったのではないかと思います.発表後には,日本から他にも学会に参加されていた,伊澤先生や辻先生といった方々とも意見を交換することができました.今回の学会で学んだ学会の趣旨に基づいた資料の見せ方や,ストーリー性を発表に持たせることを今後の研究に活かすことができればと思います.

発表の様子

話は変わりますが,本学会は”Museo degli Innocenti”という名前の会場で開催されました.日本語では,インノチェンティ美術館と呼ばれていて,別名はフィレンツェ捨て子養育院という場所のようです.婚外子であったり家が貧しくて子供を育てることができない親が,この養育院に預けていたようです.その際には,何かしらものを持たせて自分の子が誰か分かるようにしていたのだとか.その一例である,半分に割ったコインについては美術館の受付前にある物品販売にて絵本にもなっていました.その時代を生きた人たちのものが今になっても残っているのだと深く感心しました.もし,また行く機会があればぜひじっくりと見て回りたいと思います.

また,学会二日目には当日のセッション終了後に,フィレンツェの観光ツアーなるものもありました.このツアーは懇親会と組み合わされており,懇親会会場までツアーガイドの方がひたすら観光地の案内をしてくれるといった内容のものです.今回は,インノチェンティ美術館を出発点とし,その後ドゥオーモ広場,ヴェッキオ橋,最後に会場といったルートでした.懇親会会場までは,およそ4kmと一時間以上歩き続けたため,途中ではぐれてしまう時もありましたが,ガイドの方からいただいていた無線機が,ダウジング代わりになったので,何とか事なきを得ました.

ガイドツアーの方の説明を聞いている場面

懇親会会場では,赤木先生,稲垣先生,渕脇先生,台湾の先生および現地のイタリアの先生と談笑しながら,楽しくワインやイタリアの料理をいただきました.お話の中では,お土産には何がおすすめなのかであったり,イタリアの日本料理と同じで日本のイタリア料理は違うといったような話題が上がり,非常に楽しく過ごすことができました.

懇親会会場の様子

その後日,学会終了後には地方で有名なTボーンステーキとやらをいただいてみました.(ヒレ肉ではありますが,自身の誕生日をイタリアで迎えたので,自分にHappy Birthdayということで奮発しました)炭火でじっくりと焼いて焦げ目がついたカリッカリの表面に対して,中身は(ヒレ肉じゃなければ油でもっと)トロトロで,掛けられていたソースが非常に濃厚で,とてもおいしかったです.隣では,ご高齢の方々がおっきなTボーンステーキを切り分けて召し上がっていて,それも非常においしそうでした.次,いただく機会があればぜひともヒレ肉ではないステーキをいただきたいです.

また,帰国当日には乗る予定の便まで時間があったので,駅近くにある荷物預り所に大きな荷物を預けて,現地を観光しました.空港に移動するための電車に乗るサンタマリアノヴェッラ駅の近くにも教会があったのですが,今回,私はツアーではぐれかけた際に見上げるほどに大きなドゥオーモ大聖堂が非常に気になっていたので,その周辺を観光することにしました.荷物が非常に重かったせいで,少し疲れてしまっていましたが,広場にあるカフェで少し割高のカプチーノをいただきながら,当日チケットをオンラインで購入してみました.すると,大きな大聖堂に入場するチケットは売り切れてしまっていたのですが,その隣にある”ジョットの鐘楼”に上るためのチケットは,まだ販売されていたので,そのチケットを購入して,登ることにしました.鐘楼は階段が414段あり,高さがおよそ82mもあったため,途中で休憩しながら登りました.それでも,鐘楼の頂上に着くころには,息が切れてしまいました.ほかの方々も,ひーひー言いながら頂上まで登っていたので,これはいい運動になるなと思いました.頑張って上った鐘楼の頂上からは絶景を望むことができました.建物の隣の通りを通っている間には,あまり感じなかったのですが,高いところから周辺を見渡すと,建物の天井が全て橙色になっていて,ウェブでチケットを購入する時に見たような風景を拝むことができました.しかしながら,ジョットの鐘楼よりも大聖堂の方が,若干高いようでしたので,次回はかならず大聖堂の方に立ち寄るようにしたいです.

  大聖堂入口とジョットの鐘楼         ジョットの鐘楼頂上からの景色

大聖堂と鐘楼の高さの比較図,鐘楼の高さの末尾のみ手書き

また,近くにはキノピオ博物館や,かの有名なレオナルドダヴィンチ博物館もあるようなので,そちらの方にもぜひとも立ち寄るようにしてみたいと思います.

今回のように,海外の学会に行く機会をまたいただくことができるように,今後も頑張っていきたいと思います.それでは,またお会いしましょう!

日本機械学会 2024年度年次大会に参加しました

 秋の涼風に安らぐ岡本です.

2024年度年次大会・ポスター講演.講演日,9月10日.…大変お待たせいたしました.本日10月9日,ひと月越しになりますが,これよりブログ記事を執筆いたします.

年次大会,此度の舞台は愛媛県松山市でした.率直に申し上げます.良い町でした.大通りは路面電車も通る趣ある様相で,かつ福岡・天神の街並みにも似通った都会らしさがある.町を行く人々の足は急いている様子がなく,まったりとした印象を受けます.都会とは,何かと気が休まらぬものですが,こと松山においては,不思議と心穏やかでいられた気がします.こんなところに住んでみたいなぁと,漠然と思いました.

松山といえばそう,道後温泉です.講演が終わったあとは,学生らしく見聞を広める為,町のはずれ,道後湯之町へと赴きます.湯あみしましたのは,道後温泉本館と,道後温泉別館・飛鳥の湯.双方,湯加減が熱々で,三十分も居られず出てしまいました.歴史ある温泉を心行くまで楽しめず,少し残念に思います.飛鳥の湯の浴場で同席した地元の方のお話によると,人をはくために,故意に熱い湯でもてなしているという,有力な説があるそうです.私に限っていえば,その策は大いに作用しておりましょう.そして同人が言うには,松山駅前にある複合施設の中に,”喜助の湯”と呼ばれる温泉があり,そちらをお勧めするとのこと.福岡へ帰る日,そこへ寄ってみると,湯の種類は豊富で,サウナは違う温度に設定された三室あるという無欠ぶり.旅は道連れ世は情け,最後には良いめぐり合わせがあるものですね.

もちろん,温泉ばかり楽しんでいたわけではありません.愛媛大学城北キャンパス,ここで渕脇研究室松尾・岡本は,ポスター講演もこなして参りました.過去,可視化シンポジウムという学会に参加しましたが,年次大会は,より硬派な雰囲気であったように感じます.熱意ある学生も多く,彼らと言葉を交わすうちに,自身の研究への当たり方を再考させられました.発表中も,思ったより人をさばくことが出来ず,少々悔いの残る結果となりました.

様々な方面で勉強になった,三泊四日でした.これを修士論文への足掛かりとして,今後も励みたく思います.

失礼いたします.

お盆前に研究室で飲み会を開きました.

 己が身の丈を知り始めた岡本です.

8月は我々学生にとっては,一つの区切りです.夏休みの始まりであり,2月に控える修論発表等々まで残すところ半年です.そんな折,お盆前8月10日に飲み会で,研究室一同,帯を緩めさせて頂きました.会場は,時々研究室でお邪魔させて頂いている「眞次郎」という居酒屋.締めに塩みの効いた炒飯が出てきて,これが酒と合うのです.写真は,飲み会終わりに店の外で,金澤君に撮ってもらったものになります.4:3のカメラを使うのが初めてだったのでしょう,手元が狂ってしまったのだと,信じたいものですね.

いつものように私事でもお話ししましょうか.この期に及んで,他人と付き合うのが少しだけ億劫になってきました.これまで付き合ってきた人はいいのですが,初対面の人相手となると,心理的に壁を作るようになってしまったのです.少し前までは,飲み屋探しに躍起になっていたのに,この頃は人前に姿を見せることに気が乗りません.年下の知り合いに,これを相談したところ,「大人になったんじゃない」と言われました.その人が言うには,付き合うべき人には素を出して,そうでない人とは距離をおく,大人は皆そうなるから,とのことです.自分より若い人が自分以上に悟っているようで,人生とはわからないものだと思いました.人付き合いを辞めて一人の時間が増えると,これまでと違う時間の過ごし方も身に付きます.この間など,約十年ぶりに動物園に行きました.園児の頃から度々訪れていた福岡市動物園ですが,人への興味が薄れた分,動物の生態に面白さを感じるようになりまして,それはそれで味わい深いです.もうすぐ,象が四頭,福岡市動物園で公開されるらしく(最近まで一頭もいなかったそうです),彼らが公開されたら,また足を運ぼうかな,なんて考えております.

この頃の研究室はというと,B4の奮起する姿をよく目にします.彼らの研究テーマは未だ決まっておりませんが,それに向け資料作成や知識収集に力を入れている様子.9月には本格的に研究テーマが決まるでしょうし,自然と力が入るのかもしれません.これから,トークイン,二本松杯とありますし,彼らのエネルギーを頼りに乗り越えていきたいです.

それでは,本日はこの辺りで,失礼いたします.

FEDSM2024 : Fluid Engineering Division Summer Meeting 2024に参加しました

 皆さん,ご無沙汰しております.D2の葉石です.ここ最近,暑くなってきましたがいかがお過ごしでしょうか.私は,夏バテしないように栄養バランスを考えて野菜を摂取するようにしています.最近のブームはトマト缶と根菜をもろもろ入れた野菜スープです.いつも,作り置きにしています.

本題ですがこの度,2024/07/15~17にかけてアメリカのヒルトンアナハイムにて開催されたFEDSM2024 – Fluid Engineering Division Summer Meeting 2024に,渕脇先生と私の2人が参加し,発表してきました.今回,FEDSMは他の二つの学会,ASME2024 Heat Transfer Summer ConferenceおよびASME2024 18th International Conference on Energy Sustainabilityと合同で,開催されました.アメリカの学会は朝の8:30からと,かなり早い時間から開催されていました.学会は,午前に基調講演とセッションごとの発表が各部屋で平行して行われ,コーヒーブレイクをはさみながら進んでいくといった感じでした.

昨年,私が参加したAJK2023:ASME-JSME-KSME 2023は,自国で開催されていたということもあったのか,今回参加した学会よりも,少しばかり自分自身に緊張感がありませんでした.しかしながら,本学会では多くの聴衆が発表に耳を傾け,発表終了後には多くの質問が飛び交い,議論がなされていました.そのため,気を抜いていたらまともな発表もできず,発表後の質問にも受け答えができないと感じました.自身の発表が,最終日の朝だったので,その時まで気を抜かないためにも,他の人の発表を聞いて,分からないときや疑問に感じた時にはすかさず質問して,時差に慣れていない体に鞭打ちながら,自分で緊張感を高く保つようにしました.

その際,他の人の発表を聞いて感じたのは,皆自身に満ち溢れているという点です.なぜ,そのように感じたのかというと,発表の仕方や質疑に対する応答,全てにおいて物怖じすることなく発言していたためです.これが,アメリカの学会かぁと感動していたのを今でも覚えています.

自分も負けじと,これまで資料修正および発表練習してきたことを信じて,発表に臨みました.私は今回,Fluid Mechanics (FMTC) TrackのBio-Inspired and Biomedical Fluid Mechanics分野で発表しました.私のセッションは,もともと6名の発表者がいたのですが,当日の発表者は私ともう一人の2人だけでした.そのため,発表時間はもともと15分程度だったのですが,座長の方が取り計らってくださり,セッションの時間を目いっぱい使って,質疑応答の時間を長くとってくださいました.おかげさまで,拙い英語での受け答えながらも,多くの方から質問をいただき,議論することができました.

今回の学会を通して,準備の大切さだけでなく,自分自身が取り組んでいる研究に自信をもって取り組むことが,いい成果の発表につながることを学びました.また,母国語が英語でない方が他国から多く来ているため,なおさら視覚的に理解することができる資料作成の大事さを学びました.D2になり,もうすぐ後半に差し掛かるので,今回学んだことを研究に活かしていきたいです.

発表中の様子

学会の話は,ここまでにして,アメリカで体験したことについて書いていこうと思います.

私が,アメリカを訪問する時,日本円の価値が下がっており,円安状態だったため,何もかもが非常に高く感じました.アメリカに到着して,ホテルまで移動して荷物を置いた後,昼ご飯を食べるために,ファストフード店「Jack in the Box」で,日本のマクドナルドで食べているものと同じようなハンバーガーを頼みました.そのハンバーガーですが,単品で6$(当時の日本円で,960円)と非常に高かったです.寮で一緒に生活しているカナダ人から,カルフォルニアはメキシコ料理とイタリア料理が有名だよと聞いていたので,高かったものの,タコスやらラザニアやら色々とトライしてみました.総じて感じたことは,一つあたりのサイズがあまりにも大きいということです.先ほどのハンバーガーではあまり感じなかったのですが,そのように強く感じたのは,モーニングです.今回の学会の会場は,本場アメリカのディズニーランドから近かったので,入り口を見るぐらいしてこようと,朝に散歩した時のことです.ネズ耳やおそろいの服を着たカップルやファミリーの中を,一人寂しく通り抜けながら向かう途中,カフェがあったのでそこで朝食をとりました.パンケーキとコーヒーを頼んだのですが,出てきたのはパンケーキ4枚とカリッカリに焼かれたベーコン,そしてLサイズくらいのコーヒーでした.

10$のBreak fastメニューの一つ

どのくらいのサイズ感か分かるように財布を置いていますが,かなり大きいことが分かると思います.起きたばかりの体に何とか流し込みましたが,かなり胃がもたれてしまいました.そんな状態でも一目だけでも夢の国の入り口を見ようと,移動しました.

その途中でもアメリカだなぁと感じたのは,軽自動車が全くないことです.車社会なだけあって,SUVや大型車ばかりが通っていて,かなり新鮮でした.そのおかげか,車道の幅もかなり大きく,交通量がどの時間帯でもかなり多かったです.

ようやくディズニーランドの入り口に着くと,場外からでもたたずむ建築物や,アトラクションを見ることができ,やはり本場アメリカのディズニーはスケールが違うなと思いました.実際に地図で見たところ,東京のディズニーランドのおよそ2倍の面積があるようです.さらには,パークが二種類存在し,チケットを買っても一日に入場できるのは,一種類のみのようです.いつか,家族や友達なんかと行ってみたいものです.

滞在先近くの道

また,私が滞在したホテル前には「Joe’s Italian Ice」という名前のイタリアンアイス屋さんがありました.そこには,二回挑戦したのですが最初は,Bambino Tamarindoという名前の味,二回目は,Wuzzy Fuzzyという味にトライしました.てっきりジェラートと思ったのですが,若干フラペチーノよりのような,砕いた氷が入ったアイスでした.それに,Bambinoなんて名前が入っているから,イタリアの味なのかと思っていたら,調べたところタイやインドで定番のフルーツのようで,正直梅干しの味でした.もう一つの味は,スイカと桃のコラボレーションでとてもおいしかったです.

学会後には本場アメリカのハンバーガーを渕脇先生にごちそうしていただきました.普段,日本ではマクドナルドにお世話になっていますが,やはりアメリカ,サイズが大きすぎて,針で固定した状態で配膳されました.間に挟まっているポテトを食べて,ようやく口に法バルことができる大きさになったら,ほおばってみました.すると,ここでもやはり本場アメリカ,パテが比べ物にならないほどジューシーで,バンズもふっくらしていました.合わせて飲んでいたビールも一味違って,フルーティーな甘みがあり,とてもおいしかったです.

一口では収まらないほど大きなハンバーガー

甘みを感じ,とてもおいしかったビール

以上が,アメリカでの体験になりますが本当に貴重な経験ができたと感じています.これからも成果をあげていけるよう,今回学んだことを活かして頑張っていこうと思います.これからまだまだ暑い季節が続きますが,頑張っていきましょう!

2023年度 渕脇研究室の送別会を行いました

 おはようございます.鷹カフェの存在を知り浮き足立つ,新M2の岡本です.


 先月3月25日,九州工業大学情報工学府では卒業式があり,渕脇研究室では,我らが小河さん,田中さんがご卒業されました.まずは,卒業された先輩方へ言祝ぎを.小河さん,田中さん,此度はおめでとうございます.研究室では大活躍でしたお二方とも,今後は社会人として,猛威を振るわれること請け合いです.その猛勢に衰えのありませんことを,お祈り申し上げます.今までお世話になりました.


 同日夜は,お二人を送り出す送別会です.卒業生二人との最後の晩餐でしたが,その準備や進行などは,4月からD2になります葉石さんと,我々新M2の川口,岡本が担当しました.お世話になった方々へのお返しという形で,会を自分たちの手で準備させて頂けたのは,素直に嬉しかったです.今年も,のがみプレジデントホテルの「のがみ大飯店」で,まずは中華を頂きます.会を進行する中で,花束と,お気持ちばかりの品を,学生たちからお二人へ,贈呈させて頂きました.また,中華でがっつり腹を膨らませたそのあとは,駅近くの飲み屋,「のぶりん」で,二時間ほどゆっくりと飲み直し,11時前に飯塚駅にて解散となりました.今回の会が,お二人へ幾ばくかの励ましになったなら,幸いです.


本会の式次第

卒業する2人への花束贈呈

"出会いに感謝","常に前進"など,花言葉が前向きなものを送りました


 さて,時に,こういう場合,卒業生の方々からのお言葉が掲載されるものと思っておりましたが,しかしこうして機会を頂いたのですから,折角ですので見送った側からしか出来ない話でもしようと思います.

 M1の初め頃,すなわちちょうど一年前,私は先輩方から口々に「お前は変わった」と言われました.B4の頃の私は様々な無礼を働く酷い学生でしたので,それが変わったとあれば,嬉しい言葉に違いありませんが,考えさせられる言葉でもあります.


 真っ先に考えるのは,具体的に自分の何がどう変わったのか.無論思いつくことはたくさんありますが,しかし書き始めるとキリが無いので,これは割愛します.今回の正鵠は,私が何故変わったのか,ということです.私は自分が大好き,否,大大大好きな,自分第一な人間です.これは研究室に入る前から今も変わっていません.自分が大大大好きな人間というのは,変化を拒みます.というより,今の自分を愛している故に,変わる必要が無いのです.変わっていこう,とか,自分のここは変えなければならない,とか,そういう思考はつゆほども浮かばないものです.そんな人間が何故変われたのか,これは考える価値のあることです.


 近頃それについて色々考えてみて,結論行き着いたところとしては,自分の周囲の環境を好きになれたことが大きかったかな,と.自分好きなだけの人間は,変わろうとは思いません.しかしその人が周囲を好きになれたなら,「この人たちのためにも自分を変えよう」と,恐らく思うのではないでしょうか.憧憬や同調から,先輩方のあれこれを,倣ったり取り入れてみたりして,結果上手く行ったり,余計失敗したりする.それが私に変化をもたらしたのだと思います.


 私は,どの研究室に所属していたとしても,変わらず自分を好きで居たに違いありません.けれど,小河さんや田中さんのような,立派な先輩方が同じ研究室に居てくれたからこそ,私は自分の外にも目を向けることができたのだと思います.自分に変化をくれた,小河さん,田中さん,本当にありがとうございました.あ,もちろん,小河さんと田中さん以外の先輩方も,です.

 改めて,研究室を代表してお祝い申し上げます.きっとまたどこかで,お会いしましょう.


解散前に集合写真,金澤君が撮影してくれました

 先輩お二方のお話ばかりになりましたが,進学組の三名,金澤さん,弘中さん,松尾さんも,情報工学部を卒業され,今年度からは新M1となり,研究室を引っ張って行きます.3月初めごろにやってきた新B4たちも,4月12日に推薦試験を終え,本格的に研究に向けての勉強を始めようというところでしょうか.私も,彼らに変化を与えられる先輩となるため,精進していく所存です.これからもよろしくお願いいたします.


 失礼いたします.

第55回学生員卒業研究発表講演会の優秀講演賞を受賞しました!

 ご無沙汰しております.B4の金澤です.季節も春らしくなり,ぽかぽか陽気な日も増えてきました.そのせいか,去年の冬に減らしたはずの8 kgの体重が戻りつつある今日この頃です.


 3月7日の第55回学生員卒業研究発表講演会 in OKINAWAで卒業研究の発表をしてきました.その講演会にて今回,優秀講演賞を頂くことが出来ました.自分の発表内容が表彰されるとは露にも思っておらず,先生から賞状と盾をいただいた時は大変驚きました.しかしながら,いただいた賞状の題目が若干間違っており,自分の題目の下に他の方の題目も書かれていたため,実際に自分に対するものかは定かではありませんが,運も実力のうちということでありがたく頂きました.


 大学の卒業研究発表会では,質問資料をあまり用意していませんでした.そのため,教授陣からの質問に答えられず悔しさの残る発表となりました.今回の学生会では,この後悔を払拭できればと質問資料100枚を目標に資料作成に臨みました.100枚に届かなかったものの84枚の質問資料を作り,どんな質問にも対応できたことで,今回受賞できたのではないかなと思います.しかしながら,発表内容に関してはまだまだ十分なものではなく,この一年自分が怠けてあまり研究を進めてこなかった結果だと思います.大学院では自分の日々の行動を改め,渕脇先生からの信頼を得られるように自分自身を変えていかなければならないと感じています.


全員で賞状の題目を確認している様子

頂いた盾と賞状

 最後になりますが,今回の賞並びにこの一年の成果は渕脇先生や先輩からの大きな支援の賜物です.特に,葉石さんには資料作りや人間性,ご飯の援助などいろいろな面で助けて頂きました.今後は研究を進めるとともに,先輩方の背中から学んだことを後輩にも受け継いでいき,さらにはダイエットにも精進できればなと思います.


日本機械学会 九州支部 九州学生会 第55回学生員卒業研究発表講演会に参加しました.

 2024年3月7日(木)にB4の三人が日本機械学会 九州支部 九州学生会 第55回学生員卒業研究発表講演会に参加しました.三人ともギリギリまで資料の修正,発表練習を行い,本番に臨んでいました.各々,講演会を通して感じたことがあるようです.以下に,三人の記事を投稿します.



~金澤~

 ご無沙汰しております.B4の金澤です.3月6日から8日の3日間,学生会のため沖縄に行ってきました.

 初めての外部の人たちを交えた発表はとても緊張しました.そのため,発表したものの,自分がちゃんと話せているのかも,自分のスライドが相手にしっかり伝わっているかも正直わかりませんでしたが,精一杯やり切ることができました.

 発表後,他の方の発表を聞きましたが,周りの方の発表は大変面白く,自分の知らない分野について知ることができる貴重な機会になりました.学生会の次の日には,沖縄を満喫するために,アメリカンビレッジ横のビーチに赴きました.しかし,その日の沖縄は天気が悪く寒かったため,海に入ることはできず,波打ち際から海を眺めることしか出来ませんでした.けれども,アメリカンビレッジでは各々気に入ったお土産を購入することができました.自分はグレムリンの巾着袋,弘中くんはアロマストーン,松尾さんはトルコランプを購入することができ,最高の思い出を作ることができました.

 最後になりますが,M2になっても頑張って研究をしていこうと思います. それではまたのブログで.


グレムリン巾着袋

砂浜での扇


~弘中~

 皆様お疲れ様です.最近一人暮らしを初め,家事に対するモチベーションがいつまで続くか不安になっている弘中です.

 3月7日に,琉球大学にて行われた,九州学生会第55回学生員卒業研究発表講演会に参加させていただきました.今回の飛行機がLCCということで,座席が翼近くの窓際にならないかな...とそわそわするのは流体研あるあるでしょうか.

 さて,肝心の発表についてなのですが,発表が終わってすぐに,早口になったなぁと反省しました.緊張であったり,時間配分ミスであったり,余計なことを付け加えたりなど,様々な原因が考えられますが,全ては発表練習に通ず,ということを痛感しました.今回の反省点を具体化して,次回の発表練習に活かせるよう,頑張ります.

 発表が終わった後は,B4全員,先生に飲みに連れて行ってもらいました.ハブ酒をみんなで飲んだ後,お酒に浸かったハブを見て大興奮でした.

 卒論に続き,学生会も終わり,一段落となる時期ですが,家事同様,研究に対してのモチベーションも下がらないよう,これからも頑張ります.


発表中のアップ写真

~松尾~

 3月7日に沖縄で,行われた機械学会九州支部の九州学生会第55回学生委員卒業研究発表講演会に参加してきました.

 学生会は,初めてだったため,とても緊張し,慌ただしい行動が多くなってしまいましたが,たくさんの学びを得ることが出来ました.一つ目に,分野での研究内容の幅広さです,他の分野を見ていないため,流体のみかもしれませんが,流体と一言にいっても,多種多様の研究があり,内容を理解するために,幅広い知識が必要であると感じました.特に,方法や結果については,殆ど理解する事が出来ず,勉強不足を感じました,そして,だからこそ,その研究に至るまでの背景や目的,この結果からどういったことが言えるのかをしっかりと伝えることの重要性についても理解することが出来ました.

 また,学会以外で私が一番感じた事としては,体力のなさです,確認しておきたいことやしておきたいことがあっても,気付いたら2日連続で寝落ちしてしまっており,結果としてしっかりと休むことも出来ていないという問題が起きました,そのため,今後は勉強以外の移動などで使用する体力についても付けていきたいと思いました.

 余談になりますが,一日目の夜に沖縄そばを食べました.食べたことない食感の麺でしたが,味も含めておいしかったです.


沖縄そば

タイで開催された RESTCON2024 に参加しました!!

 皆々様,ご無沙汰しております.D1 葉石です.ここ最近,寒い日ばかりが続いていて,洗濯物が乾きにくく,特にパーカーのフード部分がよく乾かずに思い悩んでいる次第です.室内で干してしまうと,生乾きのような臭いがしてしまうので,なんとかしたいところです.

 
 さて,本題に入りますが2/16~2/20の間,私は学会発表のためタイを訪問していました.「RESTCON2024 – 2024 1st International Conference on Robotics, Engineering, Science, and Technology」という名称で,名前にもある通り,今回が記念すべき第一回目であり,タイのキングモンクット大学と日本の九州工業大学の二大学が共催の学会になります.


 開催場所は,クレイジータウンことパタヤであり,会場はかなり高級なホテル:Siam Bayshoreリゾートでした.福岡空港からドンムアン空港までは,一緒に若松キャンパスに所属しているJanさんとRioさんの2人と移動し,ドンムアン空港から会場まではJanさんの友人の車に乗せてもらい,高速を使って,会場まで向かいました.


 日本が冬なのに対して,タイは乾季ながらも気温が20~32℃程度と夏日だったので,気温差が激しく,暑さにやられてしまいそうでした.そのため,会場まで向かう途中,パーキングエリアで休憩する際には,冷えたコカ・コーラ(太らないために,ゼロを選択)を買って,暑さをしのげるようにしました.


 会場到着後は,TGGSで前からお世話になっているTor君と合流し,タイに滞在するJanさんの友人(運営スタッフや発表者も含む),RioさんおよびTor君の皆で,オキシゲン ビーチフロント オアシス パタヤなるおしゃれな浜辺近くのお店で,おいしいタイ料理を堪能させていただきました.


タイの学生達,笑顔が絶えず活気のある学生達ばかりでした


 その後,Tor君と同じホテルに帰ったのですが,その際,彼の口からは「パタヤはタイらしさを感じない」と笑いながら言っていました.自分から見ると,あまり変わらない気もしたのですが,現地の彼が言うのならば,そうなんだろうと思いつつ,ホテルに向かいました.自分たちが滞在するホテルは,有名なウォーキングストリートが近く,様々な店がありました.自分たちのホテルの真ん前にも,たくさんのお店(詳細には書けませんが,,,)があり,夜の間ずっと,自分が泊まる部屋にまで,ドンチャン騒ぎが聞こえてきて,あまり寝付くことができませんでした.しかしながら,Tor君にそのことを聞くと,「いや全く聞こえなかったよ」と言っていたので,自分の運が悪いだけでしたね.



パタヤでの滞在先ホテル前の様子

 さて,発表当日ですが,午前は基調講演があり,午後に発表者が各部屋に分かれて,発表を行うといった流れでした.自分が発表する部屋はあたかもスティーブジョブズがスピーチするような段が用意されており,その上から遠隔で操作して発表するというものでした.最初,てっきりどこかの教室のような場所で発表するものと思っていたため,かなり緊張してしまいました.しかしながら,何とか発表と質問対応を無事に終えることができ,その後は,他の発表者に対して質問し,積極的に参加させていただきました.


 発表セッションはおよそ16:30に終了し,懇親会は18:00からだったため,Tor君と会場裏にあるラーン島へ向かう港近くで,景色を楽しみながら談笑しました.家族のことや,国の政治に関すること,さらには今後のことについてなど,1時間程度ながらも色々なことを話すことができ,Tor君とより仲良くなれたのではないかと思います.


 その後,時間になり会場に戻ると,たくさんの円卓,タイ料理が並べられており,天井には何とミラーボールがついているという,豪華絢爛な会場へと変貌していました.私とTor君,渕脇研究室のOB・OJ留学生であるBowさん,Nutさんと先輩方の友人,さらには久留米高専の方々と一緒の卓に付き,ご飯を一緒させていただきました.



Bowさん,Nutさんとの写真
トートバッグとキーホルダーまで頂いちゃいました.使い勝手がよく,大切に使ってます!


 豪華なタイ料理を堪能していると,タイの運営の方々からタイの伝統的な踊りを披露していただきました.Tor君曰く,あまりよくわからないが,実際だと水をふりまかれたりするとのことで,会場仕様にしていただいているのだとわかりました.



タイの伝統的な踊りのショー

 その後は,会場がカラオケ会場へと変貌し,ドクターの方々や,国際交流担当の職員方,さらには私が所属する学科の教授陣の方々まで舞台に上がり,美声を披露していました.その合間に,Tor君の知り合いの教授から,「時間はほんの一瞬しかないから,盛り上げていこう!君も歌うんだ!!」と何度もお言葉をいただきました.確かにそうだと思い,研究室のメンバーと共に息抜きとかねて鍛え上げた喉を披露せず,なんとするかと奮い立ち,壇上に上がることにしました.


 ただ自分が好きな歌を歌うだけではよくないなと考え,Tor君に知っているJ-popはないかと聞いたところ,ゴールデンボンバーさんの「女々しくて」はわかるとのことだったので,その曲を選び歌わせていただきました.


 緊張しつつも,精一杯歌うことができ,皆振り付けも一緒に踊ってくださったので,とても楽しかったです.先ほど,声をかけてくださった教授からも「Good Job! J-pop boy!」とほめていただきました.その後,全体集合写真を撮る時にも,ずっとJ-pop boy と呼ばれ続けました.


 後日,授賞式および閉会式が行われ,その際に,自分はBest Paper賞として表彰していただきました.修士から現在に至るまで,賞を受賞したことがなかったので,とても嬉しかったです.


 RESTCON2024終了後は,Tor君にバンコクまで車の調子を確認しつつ,バンコクまで移動しました.その道すがら,もし時間があったら行きたいと考えていた,サンクチュアリ・オブ・トゥルースにまで,連れて行ってもらいました.スペインにある現在も建設中のサグラダ・ファミリアとは異なるものの,タイのパタヤにも,現在でも建設中(現在,約80%の状態)のものがあるようです.


 Tor君もいったことがないようでしたので,行くことができてよかったです.タイのお寺はいずれの箇所も,日本の寺とは違ってかなり装飾物が多く,きらびやかな印象のものが多いです.しかしながら,今回,訪れたサンクチュアリ・オブ・トゥルースは,木材のみで組み立てられていることから,タイによくあるお寺のような,きらびやかな印象はなく,その一方で,手の込んだ作りとなっていました.また,多くの宗教概念がごっちゃまぜになっており,何が何だかわからないものの,その精巧さに圧倒されました.


サンクチュアリ・オブトュルースの全体像


 観光後は,滞在する寮の部屋に荷物を置き,夕食はTor君チョイスで,チャオプラヤ川沿いにあるブッフェレストランで夕食を食べました.ここでも,タイの変わった料理を食べることができました.夕食後は,近くの寺で催しがあり,何を買うわけでもなく,どんなものか見に行きました.かなり手作り感が満載のものが多くありましたが,ヤギやウサギが売られていたり,お化け屋敷やライブがあるなど,かなり活気のあふれるお祭りでした.なお,売り上げはお寺に寄付されるとのことで,色々な祭りの形があるのだなぁと思いました.今度行くときには,お腹を空かしてから,色々ものを食べられるようにしたいです.


お寺のお祭りの様子,日本のようにたくさんの屋台


手作りお化け屋敷,入りはしませんでした...

 最終日は,キングクット大学で時間を過ごしました.午前中はキャンパス内を散歩して,昼ご飯時にTor君と合流し,TGGSのメンバーに挨拶しました.皆,変わらず元気そうでした.その後,Tor君の実験道具を見て,色々と話し,夕食時には近くのお店でソムタムや,Tor君の兄が務めているビール会社のおいしいビールをいただき,タイを後にしました.



SHINGAと書いて"シン"と読むそうな,苦みがなくすっきりとした味わい
ビールが苦手な自分でもごくごく飲めました


 前回の訪問時には,あわただしく移動があったため,タイを十分に満喫することができませんでしたが,今回,学会発表,懇親会,さらにはタイの学生との話を通して,少しばかりタイについて詳しくなったのではないかと思います.また,国際交流の際には,互いに歩み寄るようにしてコミュニケーションをとる必要があると感じました.懇親会の時でも,どちらか一方が受け身になるのではなく,何かアクションを起こし,一緒に盛り上げることで,楽しんでいることを表現することもできるのだと感じました.


 今後も,今回学んだことを生かして,頑張っていきたいと思います.それでは,また何かイベントごとありましたら,更新したいと思います.それでは!


海外渡航記 ~東南アジア 3 ヶ国の旅~

 皆様,ご無沙汰しております.D1 葉石です.運動する習慣がすっかり抜けてしまい,運動不足が否めなくなってまいりました.このままだと,三段腹ができてしまいそうです.自分が大好きな甘味も意識して控える必要が出てきました.年を取って,大人になるというのは,こういったところからなのでしょうか.


 

 さて,私の最近のお悩みはほどほどに,今回は,11月末の7日間の間にあったことについてお話したいと思います.タイトルにもある通り,内容としては,タイ,マレーシア,フィリピンの三ヶ国に行った際のお話となります.具体的な内容に入る前に,なぜそのような経緯となったかについて,まずは説明させていただきます.


 事の発端といたしましては,九州工業大学と姉妹校であるマレーシアのプトラ大学と合同シンポジウム「SAES2023」が開催されることとなり,私がそれに参加する予定でした.その日程に合わせて,2年前からタイのキングモンクット大学にあるTGGSと呼ばれる研究グループと渕脇研究室のミニシンポジウムの日程を,渕脇先生が調整してくださりました.その結果,先にタイでのミニシンポジウムに参加した後に,マレーシアに移動し,SAES2023に参加するといった流れで,一週間程度の海外渡航を行うこととなりました.
「せっかくの機会なので,いろんなことを見て体験して学んでくるように」と,渕脇先生から助言をいただきました.全く以てその通りだなと思い,今回は移動手段から異なる方法にトライしてみることにしました.


 日本と海外を行き来する移動手段は,大富豪でもない限りは,プライベートジェットでの移動は不可能なので,飛行機での移動となります.シンポジウムが開催されるタイおよびマレーシアは,日本とは大きく異なり,二国間が陸路でつながっているため,飛行機ではなく電車での移動も可能なはずです.そこで,タイとマレーシアの国境付近に駅がないか調べてみたところ,ちゃんと出入国手続きを行うことができる駅がありました.その駅は,パダン・ブサール駅(プダン・ベサールなど日本語ではいろんな呼び方をされているみたいです,ローマ字表記は,Padang Besar)という名前です.

今回の旅路,全て陸路での移動


 この駅に到達することができれば,マレーシアに行くことができます.そこまでの移動手段を調べたところ,今現在,日本ではあまり見かけない,寝台列車で移動することが可能なようでした.寝台列車には,一等と二等があり,自分は調べるのが遅く,一~二週間前だったため,一等の寝台列車は残っていませんでした.この移動方法だと,移動にかかる時間は,およそ18時間と3/4日分の時間を費やしての移動になります.これも経験だと考え,二等寝台の列車を予約しました.マレーシア入国後は,バターワース(Butterworth)駅まで電車で移動し,その後,高速バスでKL(クアラルンプール)セントラル駅へ移動後,プトラ大学近くの駅まで,再び電車で移動し,寮まで移動します.


 ここまでの合計の値段を見てみると,なんと15,000円程度と,飛行機で移動するより7,000円ほど安い値段でした.しかしながら,移動時間は圧倒的に異なり,飛行機2時間で移動可能(スワンナプーム空港 or ドンムアン空港~クアラルンプール空港)なのに対し,今回計画した移動手段だと合計34時間程度と,ほぼ一日半の時間を費やしての移動となります.「時は金なり」とはよく言ったもので,時間の貴重さだけでなく,移動時間・方法にも当てはまることなんだなぁとしみじみ感じました.


 マレーシアに到着し,シンポジウム参加後は,帰路に就くこととなります.クアラルンプール空港から福岡空港までの直通便はありませんでしたので,他の空港を経由しての移動となります.安く,かつ早めに日本に帰れる便を探したところ,フィリピンのマニラにあるニノイアキノ国際空港に18時間滞在し,その後,福岡空港に帰る便がありました.18時間滞在する間に,ターミナルにあるお店を見て回ればいいかなと思い,その便に乗ることにしました.

 以上が,日本⇒タイ⇒マレーシア⇒フィリピン⇒日本の移動に関する情報となります.

 それでは,実際に滞在中にあったことについてこれから書いていきたいと思います.かなり長くなりますが,拝読していただけますと幸いです.



 まず,タイのキングモンクット大学にたどり着くまでの話になりますが,福岡空港でのチェックインや搭乗手続きは,問題なく済ますことができ,難なく日本の土地を離れ,タイに降り立つことができました.スワンナプーム空港到着後,大学までの移動は,大学近くにあるBang Pho駅付近のカフェにおいて,渕脇先生と夏季集中講義でお世話になったPeerawatt先生と待ち合わせており,そのカフェからPeerawatt先生の車で送迎していただきました.
 キングモンクット大学では,M2の田中君が先行しており,今回のミニシンポジウムを合同で開催するTGGSの学生と実験を行っていました.田中君が補佐をしていた学生はTor君と呼ばれており,とても穏やかで優しい人でした.


 到着当日は,シンポジウムの前準備および寮への荷物移動の後,Tor君と田中君と共に,Tor君おすすめの川沿いにあるレストランに連れて行ってもらいました.Tor君チョイスに任せて,トムヤムクンやポークなど,タイのご飯を頂きました.その時には,知りませんでしたが,トムヤムクンの中に入っていたレモングラスは,香り付け用のため食べる必要がないのですね.知らなかった自分は,繊維が無くなり続けるまで,ムシャムシャといただいてしまいました.Tor君も食べないよと笑いながら言っていたので,次回以降は気を付けます.


 その後のTGGSとのシンポジウムの内容については,前回掲載した田中君の記事があると思うので省略させていただきます.



  タイのシンポジウムが終わり,次の日の朝には,一度キングモンクット大学がどういったものなのか見てみることと,朝食をとるために大学をぐるっと散歩してみることにしました.九工大よりも大きい道が舗装されており,川が学内の敷地に通っていて,橋が何か所かかかっているため,それらを渡りながら回ることができるほど,広大な敷地でした.

 その中で,おそらく学生が使っているであろう中央食堂があったので,そこに入って朝食をとることにしました.入ってみると,複数の学生が朝食をとっており,周りを見渡すと,ほとんどしまっているものの,いくつかお店が開いていました.名前はわかりませんでしたが,その中でも,一番おいしそうなお店に行きました.

 店先にいたおばあさんに英語で注文したところ,タイ語で話かけられたので,すかさず「I can’t speak Thailand language.」と答えました.すると,相手の方もおそらく「私は英語が分からない」といったことを,タイ語?か何かで,私に訴えかけてきました.もうこうなると,最終手段は,敵意がないことを示す笑顔,およびボディランゲージがコミュニケーション手段になります.メニュー表を指さししながら,何とか鳥の手羽先が入った春雨スープのようなものと追加でタイ米を注文しました.お値段なんと35バーツと破格のお値段.朝から特をしたなと思いながら,言語が分からないながらも,笑顔で対応してくださったおばあさんに感謝しつつ,いただきました.


食堂で食べた名前の分からない麺料理とご飯


 その後,おそらく渕脇先生御用達であると思われるROCKETというカフェで,Tor君,渕脇先生と私の三人で,学生生活についてや就職活動,今後の人生設計について1時間程度,会話を楽しみました.その時に,Tor君に今朝食べた写真を見せたところ,大笑い.なぜか聞いてみると,春雨スープと自分が思っていたのは,ラーメンのようなもので,それにご飯をつけて食べる人はほぼいないためでした.まぁ,おいしかったので,ノープロブレムです.


 昼食後は,寝台列車の発車駅であるBang Sue Grand stationで,渕脇先生とTor君とはお別れしました.これから,マレーシアに到着するまでは,一人での行動となります.しかも,今回の海外渡航の一番の要所である,寝台列車での移動です.寝台列車が発車するまでには,二時間程度時間があったので,タピオカミルクティーを買って,のんびり過ごしながら,発車時間まで待つことにしました.列車が発車するまでの間は,特に何事もなく(紙ストローだったため,うまく蓋を貫通させきれず,シャツに飲み物をこぼして,新しいシャツを買わざるを得なかったこと以外),過ごすことができました.

 時間になって,列車に乗るころになると,乗客が搭乗ゲートに集合し,係員の人に搭乗券を見せて,列車へと乗り込んでいきました.私も,その中に混ざって,寝台列車へと搭乗しました.寝台列車の中に入ると,道幅はおそらく日本の列車の2/3程度で少し狭い印象を受けましたが,座る椅子は,向かい合わせでもくつろぐことができるくらいの椅子の広さがあり,2等といってもかなり快適な空間でした.向かい合わせの席には,自分よりも年下の現地の青年でした.軽く会釈後は,お互い沈黙のまま過ごすことになりました.窓の外を眺めてみると,窓はかなり汚れており,くすんでいましたが,一人でも旅ができているという高揚感で(たぶん)澄み切ってみえました.


 しばらくすると,他の席の方々は,乗務員の方に声をかけて,組み立て式のテーブルを座席の下に片付け,二段式のベッドにしてもらっていました.自分も,向かい合って座っているDr. Stone(ジャンプ作品,私も大好きな作品です)のアニメを見ている青年と,目が合い,うなずき合って,乗務員の方にベッドに変形してもらいました.乗務員の方の,手際のよい作業によって,ものの5分程度で,二段ベッドが組みあがりました.シーツは,新しいもので,とても清潔で,ブランケットもいただきました.ベッド自体は寝返りができるほどの広さで,カーテンを閉めて,パーソナルスペースの確保が可能であったため,十分にくつろぐことができました.列車は,国境付近のPadang Besar駅までは,たまに止まりながら,ひたすら走り続けました.


席上部を開くと二段ベッドに早変わり


各ベッドにカーテンが設置されており,プライベートも確保



 8時間の移動が終了し,到着時間の10分遅れ程度で,目的地であるPadang Besar駅に到着しました.到着後は,タイからの出国とマレーシアへの入国手続きを約20分程度ですましました.その時に携帯を確認すると,時刻は,一時間進んだ時刻になっていて,陸続きでの移動は,こんな感じになるのかと,不思議な感覚を味わいました.


Padan Besar駅 入出国手続きは駅構内で実施



 ここからは,列車で移動し,Butterworthに到着後は,高速バスに乗り,クアラルンプール中央駅からさらに電車での移動です.移動開始前に,トイレに行ったのですが,マレーシアではお金を払わないとトイレが使用できない場所もあるようでした.日本でリンギットに変換していたので,問題なくトイレを使用することができました.


 Padang Besar駅から,Butterworth駅までの移動ですが,駅から列車が発車した直後に問題が生じました.なんと,携帯の通信が圏外になったのです.タイのスワンナプーム空港でSIMカードを購入したのですが,その際にはマレーシアでもつながると書いていることを確認していたはずでした.しかしながら,そのSIMカードが,つながらない.周りの方はみな,朗らかに会話している中,自分はかなり焦っていました.なぜならば,高速バスに乗車する用の乗車券を紙で印刷しておらず,携帯でメールを開き,添付で見せる必要があったためです.そのため,自分は「なんとかなるだろう」と思う反面,何とかせねばと思考を巡らせました.


 Butterworth駅到着後,高速バスターミナルまで,急いで移動し,セブンイレブンに行くと,SIMカードを購入することができました.そのSIMカードを持って,ケンタッキーに駆け込んで,wi-fiを使わせてもらって,なんとか通信を再開することができました.その後は,乗車券をターミナルで発行して,45分遅れの高速バスに乗って,クアラルンプールへと移動しました.高速バスは,premiumと書いているバスだったので,充電とかできるかなと思っていたのですが,思ったよりも座席は狭く,窮屈に感じました.さらには,バスの運転手の方は,遅延してしまっていることに焦っているのか,ものすごいスピードで,バスを運転していました.高速では,3~4車線ある道路を常に右車線で走り,蛇行しながら車の合間を縫って,どんどこ進んでいきました.


 5時間の間,高速バスに揺られた後,およそ一時間遅れでクアラルンプール中央駅に到着しました.どうやら,ここ数日の大雨による洪水で,少しばかり渋滞の巻き込まれたのが遅れの原因のようです.自分がクアラルンプール中央駅に到着したときには,既に9時を過ぎてしまっていました.早くプトラ大学の寮に付かないと,担当の学生に迷惑をかけてしまうと思い,夕食はほぼ売り切れてしまってフィッシュフィレオしか売っていないハンバーガー屋さんで,フィッシュフィレオを購入し,道が分からない時には,駅員さんや,ベンチに腰掛けている老夫婦に案内していただき,なんとかプトラ大学最寄りの駅までたどり着きました.

 しかしながら,ここでまた問題が発生してしまいました.なんと,地図アプリを開きすぎてしまっていたせいか,SIMカードの通信料の上限(1GB)に到達してしまいました.これでは,寮の学生と連絡できないと思っていましたが,通話とSMS(ショートメールサービス)だけは,つながったため,タクシーを手配してもらい,無事に大学の寮にたどり着きました.


 寮に到着すると,夜の「12時を過ぎたにも関わらず,担当の学生が鍵を渡して,部屋にまで案内してくれました.「Have a good rest.」ととても優しい労りの言葉をいただき,さぁくつろぐかぁ,と部屋を開けると,そこには想像を絶する光景がひろがっていました.


学生寮の部屋 空調はなくファンで涼む


 なんと,天井から少しジャンプすれば届くほどの位置に,軸がブレブレのファンが取り付けられたのみの,とても簡素な部屋だったのです.さらには,シャワールームのシャワーは冷水しか出らず,トイレはマレーシア特有の文化で,トイレットペーパーが一切ありませんでした.かなり唖然としてしまいましたが,他にも九工大の学生が来ているという話を聞いて,自分だけではないのかと,少し安堵し,「これも経験だ!」と自分に言い聞かせ,マレーシアでのSAES2023が開催されている間は,そこで過ごしました.


 プトラ大学で開催された,SAES2023は,今回で11回目ということもあり,かなり大々的に開催されていました.また,研究発表は口頭発表だけではなく,ポスターセッションでの発表もあり,数多くの学生が参加していました.特に,ポスターセッションでの発表は,一つの部屋に所狭しと敷き詰められたようにポスターが掲載され,各ポスター前に学生が並び,活発に議論していました.自分も,少し見ているだけでしたが,現地の学生に何度も声を掛けられ,説明してくるほど,学生は熱意にあふれていました.


 自分は口頭での発表で,機械系のセッションでの発表でした.当日,部屋に行って準備をしていると,座長の方から,発表者がいるかどうかの確認を受けました.そうすると,自分のセッションでは,なんと4人もの欠席者が出てしまっており,6人もいるのに,発表者は,自分ともう一人の九工大生の2人のみでした.そのため,自分は4番目だったのですが,繰り上げられて,一番最初の発表になりました.突然のアクシデントだったため,焦ってしまいましたが,なんとかしのぎ切ることができました.


 SAES2023終了後は,もともと知り合いである後輩やその後輩の友達と合流して,少しばかりマレーシアの都市を観光させてもらいました.


クアラルンプールで有名なツインタワー


 そして,慣れ親しみ住めば都となった,寮での生活を終え,日本への帰路に就くこととなりました.最後は,クアラルンプール空港からフィリピン,マニラのニノイ・アキノ国際空港を経由し,これまた18時間滞在後,福岡空港への移動です.

 ニノイ・アキノ国際空港に到着すると,係員の方から,「ここに滞在する?それとも外に出る?」と聞かれたので,もちろん18時間も一つのところにはいられないと考えていたので,「外に行きます」と答えました.ニノイ・アキノ方が「ホテルは予約している?してないのなら,外にはいかない方がいいよ」との言葉.私は,海外に行く前に多くの方から,「マニラは危ない」という話を聞いており,確かに,止まる場所も確定していないのなら,外に出ない方がいいか,と思い,「ここに滞在します」と言ってしまいました.


 さて,ここからが18時間耐久レースとなります.自分が滞在した第1ターミナルは,広いものの,お店は指で数え切れるほどしかはいっておらず,さらには休憩スペースがベンチしか利用できないため,かなり退屈となってしまいます.ここで,自分が持ってきていた600ページほどの小説,”未必のマクベス”を取り出し,たまに仮眠をとりながら,何とか18時間を耐えしのぐことができました.”未必のマクベス”は,ちょうど話の舞台が,タイの自分が使った空港の名前とかも出ていたので,楽しむことができました.時折,お土産売り場等を訪れたのですが,どこでもやはりフィリピン名産のドライマンゴーかココナッツが大量に店先に並んでいました.ただ,自分は,「これなら日本のカルディでも買って食べられるなぁ」と思い,荷物ももう持ちきれない量を持っていたため,買わずじまいとなりました.後で,渕脇先生から話を聞いたのですが,やはりターミナル間での移動はできるようでした.最後の最後で,選択を誤ってしまったなぁと,少しばかりもったいない気持ちになってしまいました.


 しかしながら,今回,一人で三ヶ国を渡り歩くことによって,何とかなるんだという精神をはぐくむことができたこと,さらには,どんな場所でも楽しむことができる精神を学ぶことができたと思います.これから,研究を頑張ってまた海外に行くことができたらいいなと思います.ここ最近は,寒さが猛威を振るい始めてきました.インフルエンザやコロナといった病気,また,体調には気を付けていきましょう.