皆様,ご無沙汰しております.D1 葉石です.運動する習慣がすっかり抜けてしまい,運動不足が否めなくなってまいりました.このままだと,三段腹ができてしまいそうです.自分が大好きな甘味も意識して控える必要が出てきました.年を取って,大人になるというのは,こういったところからなのでしょうか.
さて,私の最近のお悩みはほどほどに,今回は,11月末の7日間の間にあったことについてお話したいと思います.タイトルにもある通り,内容としては,タイ,マレーシア,フィリピンの三ヶ国に行った際のお話となります.具体的な内容に入る前に,なぜそのような経緯となったかについて,まずは説明させていただきます.
事の発端といたしましては,九州工業大学と姉妹校であるマレーシアのプトラ大学と合同シンポジウム「SAES2023」が開催されることとなり,私がそれに参加する予定でした.その日程に合わせて,2年前からタイのキングモンクット大学にあるTGGSと呼ばれる研究グループと渕脇研究室のミニシンポジウムの日程を,渕脇先生が調整してくださりました.その結果,先にタイでのミニシンポジウムに参加した後に,マレーシアに移動し,SAES2023に参加するといった流れで,一週間程度の海外渡航を行うこととなりました.
「せっかくの機会なので,いろんなことを見て体験して学んでくるように」と,渕脇先生から助言をいただきました.全く以てその通りだなと思い,今回は移動手段から異なる方法にトライしてみることにしました.
日本と海外を行き来する移動手段は,大富豪でもない限りは,プライベートジェットでの移動は不可能なので,飛行機での移動となります.シンポジウムが開催されるタイおよびマレーシアは,日本とは大きく異なり,二国間が陸路でつながっているため,飛行機ではなく電車での移動も可能なはずです.そこで,タイとマレーシアの国境付近に駅がないか調べてみたところ,ちゃんと出入国手続きを行うことができる駅がありました.その駅は,パダン・ブサール駅(プダン・ベサールなど日本語ではいろんな呼び方をされているみたいです,ローマ字表記は,Padang Besar)という名前です.
今回の旅路,全て陸路での移動
この駅に到達することができれば,マレーシアに行くことができます.そこまでの移動手段を調べたところ,今現在,日本ではあまり見かけない,寝台列車で移動することが可能なようでした.寝台列車には,一等と二等があり,自分は調べるのが遅く,一~二週間前だったため,一等の寝台列車は残っていませんでした.この移動方法だと,移動にかかる時間は,およそ18時間と3/4日分の時間を費やしての移動になります.これも経験だと考え,二等寝台の列車を予約しました.マレーシア入国後は,バターワース(Butterworth)駅まで電車で移動し,その後,高速バスでKL(クアラルンプール)セントラル駅へ移動後,プトラ大学近くの駅まで,再び電車で移動し,寮まで移動します.
ここまでの合計の値段を見てみると,なんと15,000円程度と,飛行機で移動するより7,000円ほど安い値段でした.しかしながら,移動時間は圧倒的に異なり,飛行機2時間で移動可能(スワンナプーム空港 or ドンムアン空港~クアラルンプール空港)なのに対し,今回計画した移動手段だと合計34時間程度と,ほぼ一日半の時間を費やしての移動となります.「時は金なり」とはよく言ったもので,時間の貴重さだけでなく,移動時間・方法にも当てはまることなんだなぁとしみじみ感じました.
マレーシアに到着し,シンポジウム参加後は,帰路に就くこととなります.クアラルンプール空港から福岡空港までの直通便はありませんでしたので,他の空港を経由しての移動となります.安く,かつ早めに日本に帰れる便を探したところ,フィリピンのマニラにあるニノイアキノ国際空港に18時間滞在し,その後,福岡空港に帰る便がありました.18時間滞在する間に,ターミナルにあるお店を見て回ればいいかなと思い,その便に乗ることにしました.
以上が,日本⇒タイ⇒マレーシア⇒フィリピン⇒日本の移動に関する情報となります.
それでは,実際に滞在中にあったことについてこれから書いていきたいと思います.かなり長くなりますが,拝読していただけますと幸いです.
まず,タイのキングモンクット大学にたどり着くまでの話になりますが,福岡空港でのチェックインや搭乗手続きは,問題なく済ますことができ,難なく日本の土地を離れ,タイに降り立つことができました.スワンナプーム空港到着後,大学までの移動は,大学近くにあるBang Pho駅付近のカフェにおいて,渕脇先生と夏季集中講義でお世話になったPeerawatt先生と待ち合わせており,そのカフェからPeerawatt先生の車で送迎していただきました.
キングモンクット大学では,M2の田中君が先行しており,今回のミニシンポジウムを合同で開催するTGGSの学生と実験を行っていました.田中君が補佐をしていた学生はTor君と呼ばれており,とても穏やかで優しい人でした.
到着当日は,シンポジウムの前準備および寮への荷物移動の後,Tor君と田中君と共に,Tor君おすすめの川沿いにあるレストランに連れて行ってもらいました.Tor君チョイスに任せて,トムヤムクンやポークなど,タイのご飯を頂きました.その時には,知りませんでしたが,トムヤムクンの中に入っていたレモングラスは,香り付け用のため食べる必要がないのですね.知らなかった自分は,繊維が無くなり続けるまで,ムシャムシャといただいてしまいました.Tor君も食べないよと笑いながら言っていたので,次回以降は気を付けます.
その後のTGGSとのシンポジウムの内容については,前回掲載した田中君の記事があると思うので省略させていただきます.
タイのシンポジウムが終わり,次の日の朝には,一度キングモンクット大学がどういったものなのか見てみることと,朝食をとるために大学をぐるっと散歩してみることにしました.九工大よりも大きい道が舗装されており,川が学内の敷地に通っていて,橋が何か所かかかっているため,それらを渡りながら回ることができるほど,広大な敷地でした.
その中で,おそらく学生が使っているであろう中央食堂があったので,そこに入って朝食をとることにしました.入ってみると,複数の学生が朝食をとっており,周りを見渡すと,ほとんどしまっているものの,いくつかお店が開いていました.名前はわかりませんでしたが,その中でも,一番おいしそうなお店に行きました.
店先にいたおばあさんに英語で注文したところ,タイ語で話かけられたので,すかさず「I can’t speak Thailand language.」と答えました.すると,相手の方もおそらく「私は英語が分からない」といったことを,タイ語?か何かで,私に訴えかけてきました.もうこうなると,最終手段は,敵意がないことを示す笑顔,およびボディランゲージがコミュニケーション手段になります.メニュー表を指さししながら,何とか鳥の手羽先が入った春雨スープのようなものと追加でタイ米を注文しました.お値段なんと35バーツと破格のお値段.朝から特をしたなと思いながら,言語が分からないながらも,笑顔で対応してくださったおばあさんに感謝しつつ,いただきました.
食堂で食べた名前の分からない麺料理とご飯
その後,おそらく渕脇先生御用達であると思われるROCKETというカフェで,Tor君,渕脇先生と私の三人で,学生生活についてや就職活動,今後の人生設計について1時間程度,会話を楽しみました.その時に,Tor君に今朝食べた写真を見せたところ,大笑い.なぜか聞いてみると,春雨スープと自分が思っていたのは,ラーメンのようなもので,それにご飯をつけて食べる人はほぼいないためでした.まぁ,おいしかったので,ノープロブレムです.
昼食後は,寝台列車の発車駅であるBang Sue Grand stationで,渕脇先生とTor君とはお別れしました.これから,マレーシアに到着するまでは,一人での行動となります.しかも,今回の海外渡航の一番の要所である,寝台列車での移動です.寝台列車が発車するまでには,二時間程度時間があったので,タピオカミルクティーを買って,のんびり過ごしながら,発車時間まで待つことにしました.列車が発車するまでの間は,特に何事もなく(紙ストローだったため,うまく蓋を貫通させきれず,シャツに飲み物をこぼして,新しいシャツを買わざるを得なかったこと以外),過ごすことができました.
時間になって,列車に乗るころになると,乗客が搭乗ゲートに集合し,係員の人に搭乗券を見せて,列車へと乗り込んでいきました.私も,その中に混ざって,寝台列車へと搭乗しました.寝台列車の中に入ると,道幅はおそらく日本の列車の2/3程度で少し狭い印象を受けましたが,座る椅子は,向かい合わせでもくつろぐことができるくらいの椅子の広さがあり,2等といってもかなり快適な空間でした.向かい合わせの席には,自分よりも年下の現地の青年でした.軽く会釈後は,お互い沈黙のまま過ごすことになりました.窓の外を眺めてみると,窓はかなり汚れており,くすんでいましたが,一人でも旅ができているという高揚感で(たぶん)澄み切ってみえました.
しばらくすると,他の席の方々は,乗務員の方に声をかけて,組み立て式のテーブルを座席の下に片付け,二段式のベッドにしてもらっていました.自分も,向かい合って座っているDr. Stone(ジャンプ作品,私も大好きな作品です)のアニメを見ている青年と,目が合い,うなずき合って,乗務員の方にベッドに変形してもらいました.乗務員の方の,手際のよい作業によって,ものの5分程度で,二段ベッドが組みあがりました.シーツは,新しいもので,とても清潔で,ブランケットもいただきました.ベッド自体は寝返りができるほどの広さで,カーテンを閉めて,パーソナルスペースの確保が可能であったため,十分にくつろぐことができました.列車は,国境付近のPadang Besar駅までは,たまに止まりながら,ひたすら走り続けました.
席上部を開くと二段ベッドに早変わり
各ベッドにカーテンが設置されており,プライベートも確保
8時間の移動が終了し,到着時間の10分遅れ程度で,目的地であるPadang Besar駅に到着しました.到着後は,タイからの出国とマレーシアへの入国手続きを約20分程度ですましました.その時に携帯を確認すると,時刻は,一時間進んだ時刻になっていて,陸続きでの移動は,こんな感じになるのかと,不思議な感覚を味わいました.
Padan Besar駅 入出国手続きは駅構内で実施
ここからは,列車で移動し,Butterworthに到着後は,高速バスに乗り,クアラルンプール中央駅からさらに電車での移動です.移動開始前に,トイレに行ったのですが,マレーシアではお金を払わないとトイレが使用できない場所もあるようでした.日本でリンギットに変換していたので,問題なくトイレを使用することができました.
Padang Besar駅から,Butterworth駅までの移動ですが,駅から列車が発車した直後に問題が生じました.なんと,携帯の通信が圏外になったのです.タイのスワンナプーム空港でSIMカードを購入したのですが,その際にはマレーシアでもつながると書いていることを確認していたはずでした.しかしながら,そのSIMカードが,つながらない.周りの方はみな,朗らかに会話している中,自分はかなり焦っていました.なぜならば,高速バスに乗車する用の乗車券を紙で印刷しておらず,携帯でメールを開き,添付で見せる必要があったためです.そのため,自分は「なんとかなるだろう」と思う反面,何とかせねばと思考を巡らせました.
Butterworth駅到着後,高速バスターミナルまで,急いで移動し,セブンイレブンに行くと,SIMカードを購入することができました.そのSIMカードを持って,ケンタッキーに駆け込んで,wi-fiを使わせてもらって,なんとか通信を再開することができました.その後は,乗車券をターミナルで発行して,45分遅れの高速バスに乗って,クアラルンプールへと移動しました.高速バスは,premiumと書いているバスだったので,充電とかできるかなと思っていたのですが,思ったよりも座席は狭く,窮屈に感じました.さらには,バスの運転手の方は,遅延してしまっていることに焦っているのか,ものすごいスピードで,バスを運転していました.高速では,3~4車線ある道路を常に右車線で走り,蛇行しながら車の合間を縫って,どんどこ進んでいきました.
5時間の間,高速バスに揺られた後,およそ一時間遅れでクアラルンプール中央駅に到着しました.どうやら,ここ数日の大雨による洪水で,少しばかり渋滞の巻き込まれたのが遅れの原因のようです.自分がクアラルンプール中央駅に到着したときには,既に9時を過ぎてしまっていました.早くプトラ大学の寮に付かないと,担当の学生に迷惑をかけてしまうと思い,夕食はほぼ売り切れてしまってフィッシュフィレオしか売っていないハンバーガー屋さんで,フィッシュフィレオを購入し,道が分からない時には,駅員さんや,ベンチに腰掛けている老夫婦に案内していただき,なんとかプトラ大学最寄りの駅までたどり着きました.
しかしながら,ここでまた問題が発生してしまいました.なんと,地図アプリを開きすぎてしまっていたせいか,SIMカードの通信料の上限(1GB)に到達してしまいました.これでは,寮の学生と連絡できないと思っていましたが,通話とSMS(ショートメールサービス)だけは,つながったため,タクシーを手配してもらい,無事に大学の寮にたどり着きました.
寮に到着すると,夜の「12時を過ぎたにも関わらず,担当の学生が鍵を渡して,部屋にまで案内してくれました.「Have a good rest.」ととても優しい労りの言葉をいただき,さぁくつろぐかぁ,と部屋を開けると,そこには想像を絶する光景がひろがっていました.
学生寮の部屋 空調はなくファンで涼む
なんと,天井から少しジャンプすれば届くほどの位置に,軸がブレブレのファンが取り付けられたのみの,とても簡素な部屋だったのです.さらには,シャワールームのシャワーは冷水しか出らず,トイレはマレーシア特有の文化で,トイレットペーパーが一切ありませんでした.かなり唖然としてしまいましたが,他にも九工大の学生が来ているという話を聞いて,自分だけではないのかと,少し安堵し,「これも経験だ!」と自分に言い聞かせ,マレーシアでのSAES2023が開催されている間は,そこで過ごしました.
プトラ大学で開催された,SAES2023は,今回で11回目ということもあり,かなり大々的に開催されていました.また,研究発表は口頭発表だけではなく,ポスターセッションでの発表もあり,数多くの学生が参加していました.特に,ポスターセッションでの発表は,一つの部屋に所狭しと敷き詰められたようにポスターが掲載され,各ポスター前に学生が並び,活発に議論していました.自分も,少し見ているだけでしたが,現地の学生に何度も声を掛けられ,説明してくるほど,学生は熱意にあふれていました.
自分は口頭での発表で,機械系のセッションでの発表でした.当日,部屋に行って準備をしていると,座長の方から,発表者がいるかどうかの確認を受けました.そうすると,自分のセッションでは,なんと4人もの欠席者が出てしまっており,6人もいるのに,発表者は,自分ともう一人の九工大生の2人のみでした.そのため,自分は4番目だったのですが,繰り上げられて,一番最初の発表になりました.突然のアクシデントだったため,焦ってしまいましたが,なんとかしのぎ切ることができました.
SAES2023終了後は,もともと知り合いである後輩やその後輩の友達と合流して,少しばかりマレーシアの都市を観光させてもらいました.
クアラルンプールで有名なツインタワー
そして,慣れ親しみ住めば都となった,寮での生活を終え,日本への帰路に就くこととなりました.最後は,クアラルンプール空港からフィリピン,マニラのニノイ・アキノ国際空港を経由し,これまた18時間滞在後,福岡空港への移動です.
ニノイ・アキノ国際空港に到着すると,係員の方から,「ここに滞在する?それとも外に出る?」と聞かれたので,もちろん18時間も一つのところにはいられないと考えていたので,「外に行きます」と答えました.ニノイ・アキノ方が「ホテルは予約している?してないのなら,外にはいかない方がいいよ」との言葉.私は,海外に行く前に多くの方から,「マニラは危ない」という話を聞いており,確かに,止まる場所も確定していないのなら,外に出ない方がいいか,と思い,「ここに滞在します」と言ってしまいました.
さて,ここからが18時間耐久レースとなります.自分が滞在した第1ターミナルは,広いものの,お店は指で数え切れるほどしかはいっておらず,さらには休憩スペースがベンチしか利用できないため,かなり退屈となってしまいます.ここで,自分が持ってきていた600ページほどの小説,”未必のマクベス”を取り出し,たまに仮眠をとりながら,何とか18時間を耐えしのぐことができました.”未必のマクベス”は,ちょうど話の舞台が,タイの自分が使った空港の名前とかも出ていたので,楽しむことができました.時折,お土産売り場等を訪れたのですが,どこでもやはりフィリピン名産のドライマンゴーかココナッツが大量に店先に並んでいました.ただ,自分は,「これなら日本のカルディでも買って食べられるなぁ」と思い,荷物ももう持ちきれない量を持っていたため,買わずじまいとなりました.後で,渕脇先生から話を聞いたのですが,やはりターミナル間での移動はできるようでした.最後の最後で,選択を誤ってしまったなぁと,少しばかりもったいない気持ちになってしまいました.
しかしながら,今回,一人で三ヶ国を渡り歩くことによって,何とかなるんだという精神をはぐくむことができたこと,さらには,どんな場所でも楽しむことができる精神を学ぶことができたと思います.これから,研究を頑張ってまた海外に行くことができたらいいなと思います.ここ最近は,寒さが猛威を振るい始めてきました.インフルエンザやコロナといった病気,また,体調には気を付けていきましょう.